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【平田オリザさんインタビュー】 2/4その②オリザさんが中高生の頃ってどんなだったの!?

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Q:演劇に一番初めに興味を持ったきっかけは?

そうですね、申し訳ないけど劇的な要素は全くなくて()。父親が演劇をやっていたり、他にも親戚とかに、そういう仕事の人がたくさんいて、周りにそういうのがあふれていたんです。だから、何となく始めていました。ただ僕は、高校生の頃に自転車で世界一周して、そのことについて本に書いて、18歳の時に出版していて。それが作家のデビューです。その後も受験の体験記を書いていて。まあ、自分の事ですよね。でも、どうも自分はノンフィクションライターには向いていないと思って。父親も作家で、そういう風に育てられてきて、自分も作家になるんだろうなとは思っていた。でも、人のことが気になり過ぎて、人の事を悪く書いたりすることが出来なくて、ジャーナリストとかは向いていないんじゃないかと思って。僕は駒場に生まれ育ったんだけど、目の前が東大なのね。そしてその頃に、野田秀樹さんがまだ東大の8年生くらいで、野田さんは本当に格好良くて。で、野田さんの芝居を観て、こっち(演劇)の方が向いてるって思って、大学1年生の時に台本を書いて、大学のラウンジに持って行ったの。大学生って、みんなもイメージあると思うんだけど、高校と違ってずーっと授業があるわけじゃないから、ダメな大学生がずーっと溜まる場所がどの大学にもあって。真面目な学生はその時間図書館で勉強してるんだけど。だからそこにいた連中に「台本書いたから、どうせお前ら暇だろうから、芝居やるぞ。」って声を掛けて始めたのが、今の青年団ですね。

 

Q:野田秀樹さんみたいに、劇作家もやりつつ役者もやっちゃおう!みたいには思わなかったんですか?

大学のときに、3回くらい役者をやりました。向いてないとすぐ思った。すごくあがっちゃうんで。

 

ディレクターズ一同:(意外!という顔をして)・・・へぇーーーー。(笑)

 

オリザさん:(笑)うん。向いてないの。



Q:演劇の道で食べていこうと思ったのはいつですか?

それは、大学3年の夏から4年の夏まで韓国に一年留学してた時ですね。その時に、演劇でやっていこうと決めました。普通みんな大学3年生くらいで就職活動をするよね。うちの場合は、父親が作家だった影響もあって、昔の小説家さんってのは、松本清張とか、司馬遼太郎とか、みんな新聞記者出身の人が多くて。だから父親も「新聞社に入ったらどうだ」って。本当に父は僕のことを作家にしたかったからね。母親は学者だったから、「大学院に行ったら?」なんて言っていて。

でもうちの父が、だいたい子供にオリザって名前を付けるくらいだから、もの凄く変わった人で。僕が大学生の時に、僕達家族が住んでいた家を、劇場にしちゃったの。それが今の駒場アゴラ劇場です。全部借金で、うちの家計が大変なことになって。で、もう仕方ないから僕が劇場を継ぐことになったんです。だから、韓国から帰ってきて、「継ぎます。」って言って、継いだの。僕は、日本の小劇場界で唯一親に望まれて演劇をやっています()。しかも、作家にも大学教授にもなってこんなに親孝行な演劇人はいないよね()



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Q:どんな学生時代を過ごしたんですか?

高校は行っていないからね。ちょっと順番に言うと、さっき言ったように、東京の駒場で生まれ育って。駒場っていうのは、目の前に東大があるの。僕は商店街の中で育ったんだけど、だからちょっと学校の成績が良いと、「この子は東大に行くもんだ」ってみんなが言うっていう。そういう特殊な環境だったんですよね。実際、小学校の僕の学年で5人東大行ってるからね。うちの親はそんなでもなかったけど、街全体にそういう種類のプレッシャーがあったんです。でも、これがこのままずっと続いたら東大に行ってエリートになるかもしれないけど、こんな競争がずっと続くのは耐えられないんじゃないかな?って中1、2年の時に僕は思って。中学生だから、はっきり考えたわけじゃないし、今思えば、なんだけど。1962年生まれで、高度成長社会であり、競争社会の中で育ったのね。生まれた頃っていうのは、ちょうど、映画の「Always三丁目の夕日」の頃ですよ。東京オリンピックが2歳の時で、万博が7歳の時。そういう中で育ったので、これ大変だなって思ったの。直観で。

ちなみに1962年生まれは劇作家と犯罪者の当たり年と言われているんですよ。犯罪者でいうと、幼女連続殺人事件の宮崎勉、池田小学校襲撃事件の宅間守、新潟少女監禁事件の犯人もそうですし、和歌山毒物カレー事件の林眞須美。それから、オウム真理教の幹部達も僕と同じ世代なんですよ。オウムはエリートが多いんです。医学部とかね。これは、週刊誌で特集を組まれたほどなの。

これには色んな理由があるんだけど、僕もインタビューに答えたことがあって、一つには、日本の親が戦後初めて経済的苦労なしに子供を育てられるようになった最初の世代なんですね。1960年くらいだと戦後の復興も終わって、物質的に豊かで物があった時代なんです。物がない時に子供に我慢させるのは、ある意味、簡単ですよね。でも、物があるのに我慢させるのは道徳とか、しつけでしょ?そういう習慣がなかった。今までが貧乏だったから。物質的に豊かになって、子供をどう育てて良いのか分からなかった。もう一点は、私たちの親が子供の頃は敗戦の時で、僕の父親は16歳で母は14歳でしたね。一番成長期にお腹を空かせてた昭和一桁の世代。例えば、井上ひさしさんという、東北が生んだ偉大な劇作家がいますが、彼は昭和10年生まれ。ぎりぎり昭和一桁ですね。この世代は、ちょうど君たちの年の頃に戦争真っ最中で、一番腹ペコだったんです。もうちょっと年上の人はみんな戦争で死んじゃった。自分たちが苦労したから、僕らが子供の頃は、子供には何でも買い与えるっていう親がいっぱいいたわけですよ。今の親の方がしっかりしてる。ノウハウがあるから。僕の親よりも上の世代は、年長者である親と一緒にいたから、子育てとか、色々教えてもらってたわけですよ。でも戦後、核家族化していったわけですよね。子供の育て方が分からない家に育てられた世代だから、歪んだわけですよ。

人の痛みがわからない。ずっと競争で、負けた奴は負けた方が悪いっていう風に育てられたから。僕も(人の痛みが)よく分からない。で、「これは大変だなぁ」って、中学の時に子供ながらに思って、中2の時に「高校には行かずに、自転車で世界一周しよう」って決めた。決めたんだけど、親とか周りに言っても信じてもらえないわけですね、普通は()。中2の男の子がそんなこと言ったもんだから、でもうちの親とか進歩的な親だったから、「あ~、いいねぇ。頑張ってね。」て言って、全く本気にしてなかった。「いいんじゃない?」みたいな()。で、そのまま3年になって、定時制高校にいくことにして。それも、親は多少は「はぁ?」みたいな感じになったんだけど()、「まぁ、1~2年社会経験を積むのも良いんじゃない?」ってなって、そこは突破したわけです。で、定時制高校に入学して、勉強しながら1年間働いてお金を貯めて、いよいよ行く段になって親も心配しだすわけですね()。こちらとしては、「だって、今までずっと言ってきたじゃん!」っていうね()。一応親も反対はしたんだけど、親としても強く反対する機会を失ってしまっていたわけです。それは子供として、いまにして思えば、親に可哀そうなことをしたなぁって思いますけどね。それで、1年半世界一周旅行に行って帰ってきたわけです。定時制は4年間あるので、世界旅行には高2の春~高3の秋まで行っていたから、あと3年学校に行かなくちゃいけなくて。出発する前は考えていなかったんだけど、「大学に行こう!」と思って。でも3年もかかるのは面倒臭いって思ったから、大検(大学入学資格検定試験)に受かって、結局一年浪人した人と同じ年に大学に入学できました。相当インチキな人生ですね()。2年間遊んで、そして大学に入ったわけですから。ですから、僕には高校の思い出がないんです。高校生の事はよく分からなくて、ちょっとうらやましい。その分、別の経験をしているから良いんですけど。

ちなみに大学はICUに行きました。ここも変わった大学でね。2割か3割が外国からの留学生でした。そのまま就職もせずに演劇を続けてしまったので、30歳を過ぎるまで他人の事や日本社会の事は分からなかった。「他人と違わなきゃダメ」って育てられたんで。「他人と違っていても良い」は普通だけどさ、「違わなきゃダメ」なんていう親はなかなかいませんよ。僕が何かをやろうとすると、いつも「ねぇ、それは何が他人と違うの?どこがオリジナリティがあるの?」って育てられたので()。大学もそんな感じでした。欧米と同じ教育ですね。違うってことに価値を見出す。世間もそうだと思っていたら、意外と違うっていうことに30歳を過ぎて気付いて、それから作家として成長しましたね。

 



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Q:自転車で世界一周旅行をした時に、一番大変だったことや印象に残ったことは?

大変だったことはそんなにないんです。危険なことも病気もなかったし、まぁ自転車だから、坂を上るの大変とかはありましたけど()

 

Q:言葉とかはどうでしたか?

言葉は出来なかった!本当にできなかった!ビックリしたね。アメリカの西海岸のロサンゼルスからスタートしたんだけど、ロスは訛りがすごくてね。Tの音がほとんど落ちるんだよね。水(WATER)をもらうんだけど、ウォーターじゃないのよ。ワラって言うんだよね。こんなに通じないのか!と思いました。でも3か月アメリカにいて、まぁ買い物するくらいのことは出来るようになった。行った先々では、英語が通じない国では水とか数字とか、そういう言葉を覚えた。

でも1617歳の、君らと同じ年の頃に、目まぐるしい色んな体験が出来たのは、今劇作家っていう仕事をやってる上ではとても役に立っています。人間を色んな面から見なきゃいけないですから。そういう意味では、君たちみたいな頭も心も柔らかい年代で色んな価値観に触れられたのは役に立ったと思います。

あとは、こういう経験をしていて良かったなと思うのは、海外で仕事していて、比較的海外の方と友達になるのが早いですね。どんな人でも上手く付き合える。それは、そのとき培った能力なんじゃないかな。日本のアーティストって、ヨーロッパに行っても成功する人としない人がいて、それは才能だけじゃなくて、海外へ行くと身構えちゃうんですよね。英語だとopen mindと言いますけど、とりあえず「私は武器は何も持っていませんよ」みたいな開いた感じじゃないと、仕事ができない。





その③劇作家オリザさんに迫る!へ続く⇒





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by iplayfes_youth | 2014-03-14 21:47